名曲に隠された女性が・・・

音楽には楽曲名だけでなく、標題のついたものがありますね。

作曲者自身が名付けたもの、出版社が付けたもの、親しい人から呼ばれていたことが伝わったもの、それらと関係なく、いつしか定着したものなど、事情は様々です。

 

今回お届けする「ヴェネツィア(ヴェニス)の舟歌」はドイツの作曲者フェリックス・メンデルスゾーンの“無言歌集”の中の1曲です。

1巻6曲から成る “無言歌集”を全8巻・48曲残したのですが、その中で彼が曲名を付けたのは5曲。

さらにその中の3曲が「ヴェネツィア(ヴェニス)の舟歌」と言うタイトルを持ちます。

 

無言歌集 /Lieder ohne Worte(独)/Songs without words(英)は、まさしく言葉=歌詩の無い歌。

このスタイルを考案したのは4歳年上の姉・ファニー・メンデルスゾーンで、彼女もまた豊かな才能に恵まれた作曲家でした。

歌曲のようにメロディアスで親しみやすく、19世紀のブルジョア層の教養のひとつとして広がったピアノを家庭で楽しむにはうってつけの小品。弟フェリックスもその非凡な才能で美しい“無言歌”を次々作曲して行きました。

 

富豪の銀行家で音楽愛好家の父のもと、幼い時から姉弟は語学や音楽など高い教育を受け、自宅の広いサロンでは二人の作品によるコンサートを開催していたそうです。母方もヨハン・セバスティアン・バッハの息子たちのパトロンをする程の財力。

しかし、この頃のヨーロッパの考え方は、音楽家=男性の職業と言うのが定着していたようで、弟が音楽史に名を残すことに。

メンデルスゾーン家でも父からファニーに「音楽は弟フェリックスには職業として成り立つが、女性であるファニーには教養でしかない。だから自分の才能を表現しようと決して思わないように」と言う意味の手紙が送られています。

今の感覚ではありえないですね!

 

彼女は家庭を持ったあとも、アマチュア音楽家として活動は続け、室内楽や歌曲を作曲。

幼い時から身に付けた語学を生かし、ドイツ語、イタリア語、フランス語、英語の詩による素晴しい歌曲を残しています。

プロとしての活動は許されなかったものの、その才能と作品のクオリティは弟としのぐほど!と再評価され…

 

姉ファニーの話ばかりになってしまいました。

弟フェリックスはモーツァルトのような神童で順調に成長し、作品も小品から大作まで素晴しい作品を残し、作曲家として開花していくのでした。

ヴァイオリン協奏曲ホ短調、「イタリア交響曲」、劇音楽「真夏の夜の夢」(劇音楽で「結婚行進曲」が超有名)、歌曲「歌の翼に」など皆様もメメロディーを聴けば「知ってる、知ってる!」と言うものも数多いと思います。

 音楽家としての活動の場は違った二人ですが、同年1847年に亡くなります。

41歳の姉ファニーが天に召された半年後、弟フェニックスは38歳で…

 

さて、「舟歌」と名付けられた作品は数多く、ピアノ曲ではショパンやチャイコフスキー、ラフマニノフなどが有名で、オッフェンバックは歌劇「ホフマン物語」の中で二重唱を書いています。

元来、ゴンドラの漕ぎ手(ゴンドリエ)がオールを漕ぐ調子や、穏やかな波のリズムに乗ってうたう歌が始まりでした。

今回のメンデルスゾーンの「ヴェネツィアの舟歌」は、ロマンティックな中に、寂しく儚げな情緒が漂います。

そのセンチメンタルなメロディーから、私が感じるのは「訳あってヴェネツィアの街を離れる恋人同士を乗せたゴンドラが、薄紫の朝靄の中に消えて行く…」といった情景です。