ポーランドの作曲家パデレフスキはピアニストとしても絶大な人気を誇り、そのコネクションを生かして政治家として活躍。
そして再び楽壇に戻り、また楽譜編纂者としても足跡を残しました。
いわゆる華麗な転身を幾度も遂げた人です。
音楽家としてのスタートは母校ワルシャワ音楽院のピアノ科教師で、更に留学で研鑽を積んで、ウィーン、パリ、ロンドンとピアニスト・デビューを飾り、大人気を得て国際的に名声を誇るまでに至りました。
例えば、アメリカ・カナダでは1年余りに100回以上のコンサートに出演、1回のコンサートで当時の米大統領の年棒の何倍ものギャランティーを得た程で、その報酬を慈善事業や若いピアニスト育成、コンクール設立などに投じました。
「1日練習を休むと自分でわかる。2日休むと評論家にわかる。3日休むと聴衆にわかってしまう。」との言葉を残しています。
しかし、ハードスケジュールが祟って指を故障し、精神的にもスランプに陥り、その情熱は政界へと傾いていきます。
当時、他国の支配下にあったポーランドの「民族委員会」の活動家となり、その演説に人々は熱狂したとか。
演奏家としても、政治家としても抜群の表現力を持っていたのでしょう!
そして、なんと独立したポーランドの首相と外務大臣を兼務し、任期終了後はポーランド大使に就任するのでした。
政界を引退したら、ゆったりと…ではなく、ピアニストとして復帰リサイタルをカーネギーホールで開催し大成功を収めたかと思うと、再び勃発した戦争ではポーランド亡命政府の指導者として国政に戻りました。
晩年の彼は、母国のシンボル的存在であるショパンの楽譜編纂に携わりました。
ピアノを演奏するにあたり、楽譜の選択は重要で、原典版(作曲されたそのままのもの)と、そこに強弱記号、フレージング(メロディーのまとまり)、アーティキュレーション(レガート、スタッカートなど)、発想標語(曲想を表す言葉)、テンポ、運指、などを編纂者(ピアニスト、学者、出版担当者など)により解釈が付加されたものがあり、中には音そのものも違う事があり、選択が必要です。
学習者にはある程度のアドバイスがある方が使いやすいのですが、それが本道から外れていたり、曲解したものだと問題ですね!
オリジナルと編纂者の解釈を別記してあると比較できますが、そうでないと判断が難しいので、そのあたりの見極めや、助言をピアノ指導者が担っています。
パデレフスキ版の楽譜は、彼と音楽学者のブロナルスキ、トゥルチニスキがショパンの自筆譜、信頼のおける写譜、初版の楽譜など貴重な資料を基にショパンの考えを忠実に再現するよう制作されたと言われています。
しかし、ショパンが活躍していた頃でさえ、フランス、ドイツ、イギリス各国での出版時に既に細部が異なり、ピアノ教師としても活動していたショパンがレッスンの時に書き込んだアドバイスを取り入れたものが再出版されたりして、オリジナルを特定するのは困難なようです。
そんなパデレフスキの作曲した「6つの演奏会用ユモレスク」より第1曲目の「古風なメヌエット」をUPしました。
典雅な舞曲のテーマを軸に即興的なパッセージを織り交ぜ、華やかで洒落た作品です。
リーガロイヤルホテルのクリスタルチャペルでのコンサートからお聴きください。