人にどう言われようとも 2

アルゼンチン生まれのアストロ・ピアソラは、彼が4歳の時にニューヨークに家族で渡り、バンドネオンにも親しみ、約10年過ごしました。

その後、母国に移住し、ブエノスアイレスの一流タンゴバンドに入り、自らのバンドも結成するまでになりました。

やがてダンスの形式に制約の多いタンゴに行き詰まり、30歳を過ぎでパリに留学。

クラシックの作曲を学ぶのですが、教授からは「タンゴこそが君の原点であり、捨ててはいけない。」と助言を受けます。

 

帰国後、ピアソラは新たなタンゴの可能性を追求し、踊るための伴奏音楽でなく聴くためのタンゴを試みます。

従来の根っからの聴衆は猛反発、同業者とは喧嘩、通行人からは罵声をあび、タクシーは乗車拒否。

本人は「タンゴの革命」を目指しているものの、周囲からは「タンゴの破壊者」と罵倒され身の危険が及ぶほどに…。

ピアソラ37歳の時、一家は再びニューヨークへと旅立ちます。

 

以降、音楽的理想を追い求め、バンドの編成を様々に変えるなど試行錯誤を繰り返し、重い心臓病などと闘いながら傑作を生み出していきます。

53歳の作品「リベルタンゴ」は彼が打ち立てた金字塔のような作品です。

リベルタ[自由な]+タンゴと言う意味の造語だそうで、エレキギター、エレキベース、ロックのテイストやアドリブなどを盛り込んだピアソラならではの世界が狂おしく展開されます。

 

今回はピアノ、ヴァイオリン、チェロのトリオでコラボしました。