梅雨明けを目前に

「梅雨」と言うとシトシト…じめじめ…のイメージですが、遥かに超えた豪雨で各地に大きな影響を及ぼしていますね。

先日、被害が報道された地方の友人にLINEで連絡をとり、本人や住まいの安全を確認するとともに、周囲では大変な様子も伺いました。

その様な中、私の音楽活動に心を留め、「演奏会とかも感染症拡大防止の影響で動きがとれないのではないですか?でも、こんな時、音楽の素晴しさを感じます。」と気遣ってくれました。

そして昨今の様子を伝えると「何もできないから、何かできることを模索しているのですね?できること、したいことを見つけて、まだまだ前向きに頑張る…私も頑張ります!今だからこそ、みんな必要としています。何の応援もできはしないのですが、尊敬しています。」と深い励ましのメッセージを綴ってくれました。

こちらが案じていたのに、大きな愛の言葉を!

 

さて、梅雨空はもうしばらく続きそうですが…

語源などを少し調べてみたのでご紹介します。

梅雨は日本、朝鮮半島、中国中部・南部、台湾など東アジアで見られる現象で、中国と台湾ではメイユー(梅雨)、韓国ではチャンマ(長霖)と言うそうです。

「霖」の一字でも「長い雨」という意味との事ですが、では何故に「梅」なのでしょう?

 

中国では「黴(カビ)が繁殖しやすい時期の雨」という意味で「黴雨(ばいう)」と呼び、カビのイメージが悪いことから音が同じ「梅雨」に転じ、それが伝わったという説、「梅の実が熟す時期の雨」という意味から「梅雨」と呼ぶという説、また「毎」日のように雨が降るから「梅」という字が当てられたという説など、諸説存在するようです。

日本では「梅雨」を「つゆ」とも呼びますが、この由来もまた諸説あるようで、「露」から来た説、梅の実が「潰ゆ(つゆ)=潰れる」季節だから…或いは、梅の実が「熟す=つはる」季節だからという説など、未詳です。

 

どれにしても「梅雨」という言葉自体は中国伝来で、日本で広まったのは江戸時代から。

それ以前は「五月雨(さみだれ)」と呼んでいました。

「さ」は陰暦の「五月(現在の六月)」、「みだれ」は「水垂れ」の意味。

佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲で1896年5月に発表された唱歌「夏は来ぬ」(なつはきぬ)の2番の歌詩にも登場します。

 

 

さみだれの そそぐ山田に

早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして

玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ

 

梅雨の語源の諸説…皆さんはどれを支持しますか?

 

今回のYou Tube演奏動画は梅雨ではなく、「夏」にまつわる曲です。

1999年公開の北野武監督作品「菊次郎の夏」より、久石譲作曲の作品です。

物語は…背中に刺青の遊び人の菊次郎と、祖母と暮らす孤独な小学3年生の少年を軸に展開します。

少年は写真でしか知らない母に会いに、この夏休みに貯金を抱えて家を飛び出すことを決心。

それを知り、心配した近所のおばさんは毎日ぶらぶらしている自分の夫・菊次郎に付き添わせるのです。

二人で夏の旅をする中で描かれる心の交流と人間的成長。

素朴でどこか懐かしい久石譲のメロディーも心に留まります。

久石譲のオリジナルに近く、シンプルな表現でまとめてみました。