今回はショパンを2曲。
対照的な曲想です。
1つはワルツ イ短調 遺作です。
1847年、ショパンが37歳頃、或いは1843年頃の作品と推察されています。
何故曖昧かと言うと、ロスチャイルド家で作曲の手ほどきをしていたようで、ショパンの自筆譜が所蔵されていました。
1901年にはパリ音楽院に寄贈され、その後、パリ国立図書館の所蔵となっています。
ロスチャイルド家はご存知のように大富豪の名家。
独、墺、英、伊、仏の各国で銀行家としての事業を展開し、見事大成功を収め、後にハプスブルク家から男爵の称号を得て貴族に。
メンデルスゾーン、ヨハン・シュトラウス、ベルリオーズ、ロッシーニ、リスト、プッチーニ、マイアベーアなど音楽家や、ドラクロワら画家、ハイネ、バルザックら文学界の人々に至るまで芸術家のパトロンとして貢献しました。
ショパンもまたロスチャイルドのサロンで演奏した際、男爵夫人が弟子入りを志願。
それ以来、社交界に広がり、国王の側近の貴族たちのレッスンをするようになりました。
このワルツもそのような経緯から生まれ、長い時を経て正式に出版されたのは1955年でした。
ショパン独特のマズルカ風の香りがするワルツ。
私もコンサートのアンコールで良く演奏しました。
現在もその威光を放つロスチャイルド家。
その7代目にソプラノ歌手として世界で活躍する英国のシャーロット女史がおられ、私が若かりし時、彼女の来日コンサートの1度お手伝い(残念ながらピアノで共演したのではないのです)をしたことがありました。
←これは全くの余談ですが・・・(笑)
さて、もう1曲は「軍隊ポロネーズ」との愛称で有名なポロネーズ イ長調 op.40-1。
こちらは1838年ショパン28歳の作品。
次の年に作曲したハ短調のポロネーズ(op.40-2)と更に翌年に出版されました。
40-2の方は重く、暗い曲想で祖国ポーランドの陥落の悲嘆を感じる作風に対し、この40-1は輝かしく勇壮で威厳があり、エネルギーみなぎる曲想。
ショパンが名付けたのではありませんが、そこから「軍隊ポロネーズ」から呼ばれるようになったのでしょう。
ポーランドの民族舞曲であるポロネーズのリズムが一貫してメロディーを支え、中間部の低音のドラムロールと対に鳴るファンファーレ的な響きはポーランドの誇りが鼓舞されるように感じます。
op.40は祖国の輝きと嘆きが音楽になり、ショパンの愛国心が込められています。
趣の異なるワルツとポロネーズをお楽しみください!